唐人町と当仁小学校、「とうじん」と「とうにん」、その違いを歴史から探る

福岡市営地下鉄の停車駅である「唐人町」。

「西学問所甘棠館」の最寄り駅でもありますね。

ところで、唐人町は「とうじんまち」と読みますが、西学問所甘棠館の近くにある当仁小学校は「とうにんしょうがっこう」ですよね。知らない人は、当仁という字を見ると普通は「とうじん」と読みますが、なぜこの小学校は「とうにん」と読むのでしょうか。そして、少し南に行ったところにある南当仁小学校は「みなみとうじんしょうがっこう」です。その違いを知るために、少し歴史をさかのぼって見てみましょう。

唐人町の名前の由来は?

唐人町の名前の由来については諸説あるようです。一見すると唐の人が住んでいるからという説がもっともらしく聞こえますが、実は話はそう単純ではなく、唐船の寄港地であったとか、遣唐使が身支度を整える街であったとか。いずれにせよ唐の国が存在している時代から栄えた街であり、歴史を感じさせる地名であることは間違いないですね!

実際に街を歩いてみるとそこかしこに歴史を感じさせる建造物が見受けられます。黒門川通り沿いにある「黒門飴」などは典型と言えるでしょう。

当仁小学校の由来は?

全国的に小学校の校名はその地域の地名を付けるのが普通であり、その規則に従うと普通は「唐人小学校」と名付けられても不思議ではありません。しかし、当仁小学校は地名からではなく、別の名前を由来としているのです。それは論語の一説にある「仁に当たりては 師にも譲らず(當仁不譲於師)」。ここから当仁と名付けたとのことです。命名されたのは明治25年。最初は当仁尋常小学校
と言われていました。

蛇足ですが、とうじんじんじょうしょうがっこう・・・言いにくいですね。

南当仁小学校の由来は?

南当仁小学校ですが、もともとは昭和31年に当仁小学校の児童数増加に伴って分離設立されたのが学校です。従って、当然元の当仁小学校に倣って「とうにん」と読むのかと思いきや、とうじんと読むことになりました。不思議なことですが、その答えは「戦前」「戦後」にありそうです。

常用漢字の表外読み

戦後、仁という漢字は、「じん」と読むことが常用漢字一覧により定められました。「にん」という読み方は表外読みと言われ、学校で習わない読み方となってしまったのです。

すなわち、学校で習わない読み方を校名につけるのはいかがなものか?的な議論により、戦後にできた南当仁小学校は「とうじん」となりましたが、古くからある当仁小学校は校名を変えるのもよろしくないとのことで、そのままとうにんと読むことになった、というのが有力な説です。

古の読み名である唐人町、戦前に造られた当仁小学校、戦後に造られた南当仁小学校、由来は別々なれど、それぞれの歴史を背負い、同じ地域で育ってきた名前です。

次の休みには、それぞれの地名・校名の由来を辿りながら西学問所甘棠館跡石碑を訪れてみてはいかがでしょうか?

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